FIREは本当に目指すべき?疑似FIREしてみて思うこと

「疑似FIRE」って何だよww

そんな言葉はありませぬ。

僕が勝手に作っただけなので、勘違いなさりませぬよう。

いやね、もうトヨタを満了してから3ヶ月以上経つんだけどさー…。

虚無感がすごいのよ、虚無感が。

トヨタ帝国の愛知から地元に戻ってきて、部屋を借りて久々の一人暮らしと洒落込んでるんだが、まさかここまで虚脱感に襲われるとは思ってませんでした。

毎日毎日同じことの繰り返し。

生きてるんだか死んでるんだか分からんクソみたいな毎日。

これ、仮に3000万貯まって完全なFIREを達成できていたとしても、同じ症状に悩まされてたんじゃねえの?って。

「俺はこんなつまらん毎日を送るために、あんな辛い労働に必死に耐えてきたってのか?」って。

ぶっちゃけ、今はとてもじゃないですが「FIREしてるおー!」なんて言えません。

こんなのただの無職です。

ニートです。

社会のゴミです。

でも唯一はっきりしたのは、FIRE達成に至ったとしても、今と同じように虚無感に悩まされていたんじゃないだろうかってこと。

ほえ?前置きが長い?

てめぇのくだらねえ与太話なんてどうでもいいから、さっさと本題に入れって?

おっしゃるとおりでござんす。

いいもん、代わりにXで愚痴るから。

てなわけで本題です。

目次

FIREって本当に目指す価値があるのか?

今回の記事のメインテーマがこれです。

いったい何を発信したいのかというと、無職生活を3ヶ月近く続けてみて感じた、FIREというものへの憤りです。

今ではすっかり誰もが「FIRE!」「FIRE!!」「ああFIRE!!!」とぶっ壊れたラジオみたいにのたまってるわけなんですが、本当にそれって目指す価値あんのか?って。

もちろん僕にもそんな時期がありました。

ていうか、「FIREが夢!」なんてご大層なことをほざいて、日夜期間工として奴隷労働にいそしんできました。

でも、たった3ヶ月の無職生活ですっかりこれです。

はっきり言ってヒザ!

間違えた。

暇!!!!!

とにかく暇なんですよ毎日。

こうやってブログ触ってるときはまだちょっとだけマシなんですけど、一番やばいのは1日中ゲームだけしてその日が終わった瞬間。

虚無感がやばいです。

「このゲームクリアしたからって、だからなに?」

みたいな。

もちろんこれはゲームだけに限りません。

映画も同じ。

小説も同じ。

YouTubeなんて最悪。

クソみたいなことに時間を費やして、とんでもない虚無感に襲われて、それを振り払うように眠りにつく。

FIREしたい!ってのたまってる人というのは、基本的に「働かずに遊んで暮らしたいから」目指すんでしょう。

でも、その生活って本当に楽しいのかって。

心から充実した人生になるのかって。

今の僕はひどく懐疑的なわけです。

でも、そうは言っても今の僕は未だに働いてないし、転職先を探すことすらしていない。

それはなぜか?

暇だけど働きたくはない

これです。

つまり、クソみたいな労働をするぐらいであれば、暇を持て余したクソみたいな毎日を送ってる方が、まだ100倍マシってことです。

要するにこういうことや。

暇>>>>>>>>労働

そのぐらい、僕は労働に対する嫌悪感がやばいってこと。

しょせん労働なんて、生きるための金を稼ぐのが目的。

ビジネススキルだか、国家資格だか知らんが、んなもん身につけたってやることはしょせん金稼ぎ

つまり、まとまった金を投資に突っ込んで、金が金を稼いでくれるマネーマシンさえ構築できていれば、少なくとも給料のために働く必要は微塵もないってことだよね。

でもそれでも働くって言うなら、それはもう「お金目的」じゃない。

「暇つぶし目的」で仕事をしてるってことになるわけです。

少なくとも今の僕は、暇つぶし目的で仕事するのはイコールではないので、じぇんじぇん働こうとしていないってわけ。

クズですいません。

FIREを目指す理由は「ポジティブ」か「ネガティブ」か

僕が思うに、FIREを目指すにあたって、その動機が「ポジティブな理由」によるものなのか、はたまた「ネガティブな理由」なものなのかによって、FIRE後の生活や、捉え方がだいぶ変わるのではないかと思ってます。

どういうことかと言うと、FIREしたい!って人は、大枠で分けるとこの2タイプのどちらかになるのではないかと。

ネガティブFIRE
ポジティブFIRE
  • 仕事辞めてぇ
  • 働きたくねぇ
  • 遊んで暮らしてぇ
  • 働き方を自由に選べるようになりたい
  • 山奥や田舎に住んでみたい
  • 世界中を見て回りたい

もっとも、これって気持ちの裏返しな部分はありますけどね。

「会社員辞めたい」←(から)→「自分でビジネスをやりたい」

「田舎から出たい」←(から)→「都会に住みたい」

大事なのは、このポジティブ感情とネガティブ感情、どっち側に気持ちが傾いてますか?ってこと。

で、このネガティブ感情の方が強ければ強いほど、仮にFIREを達成したとしても、不幸な人生になる確率が高まるのではないかと。

何でこんな突拍子もないこと言ってるかっていうと、海外移住する人にちょっと似てる傾向があるからなんですよね。

海外移住する人ってのも、基本的に「日本に絶望して移住する人」と、「海外でやりたいことがあるから移住する人」に二分されるんです。

で、移住に失敗したり、不幸になる傾向が多いのが、「日本絶望脱出タイプ」なんだそう。

つまり、負の要素に傾いていればいるほど、努力してFIREまでこぎつけたとしても、待ってるのは不幸な未来になっちまうんじゃないのかなって。

だから必死こいてFIRE目指す以上、ちゃんと計画性を持って、なるべくポジティブな動機で目指した方がいいんじゃね?と個人的に思うわけです。

でもね、安心して下さい。

仮に動機が不健全な理由だとしても、これだけははっきり言えると思うんです。それは、

お金があれば人生の選択肢の幅は確実に広がる!

FIREまでこぎつけたということは、動機がどうであれ、まとまったお金を貯めたという実績を得たということ。

そこまでお金が貯められた以上、同時にマネーリテラシーも培われたことでしょうから、今後よっぽどお金が足りない!なんて事態にはならないでしょう。

つまりその人はこれから先、貯めたお金を使って何でもできるプレミアチケットを手にした!とも言えるわけです。

だからもしFIREに対して懐疑的になって、ここまでして目指す意味あったのか?ってなったとしても、「人生の選択肢の幅、可能性は広がった」って考えれば別にそれでOKなんじゃないかと。

わいも不安に押しつぶされそうになったとき、そうやって自分に言い聞かせて今のところ自我保っとるわけですはい。

FIREを目指すことと、早死にするリスクは表裏一体

お疲れ様でした。

このクソ長ったらしい記事も、この見出しでようやく終わりです。

僕が個人的に思うこととしては、FIREを目指す上での一番のリスクってこれだと思うんです。

ズバリ、それは「死」

これ、Xでも似たようなことつぶやいたんだけどさ。

結局のところ、究極的な疑問としては「いつ死ぬのか分かんねえ」ってことなんですよね。

「自分が死ぬ」ということを考えると、もはやFIREがどうだの、資産運用がどうだの、全てが小さく思えてくる。

一番大切なのは、幸福な人生を生きられるか?

結局のところ、これに尽きると思うんです。

んで、それを考えると、FIREって本当に目指すべきなの?っていう逆説的な思考にも行き着いてしまう。

もっとも、先の見出しにも書きましたけど、お金を貯めること自体はいいことだと思います。

人生の選択肢の幅を広げることは、イコール幸せな人生に結びつく可能性が高くなるって思ってるから。

でも、必死に金貯めてる最中とか、FIREした翌日に車に轢かれて死にましたってなったら意味ないでしょって。

それじゃ単に、FIREするために極貧生活を続けて、趣味も思い出作りもしないで、最終的にひどくつまんない人生で幕を閉じました、チャンチャン♪ってなっちゃうじゃん。

そんな人生悲しいだけだ。

だったら、宵越しの金は持たねえスタイルで、趣味や思い出作りに全振りした方がいいのか?

いや、それも違う。

そうすると、今度は「長生きした場合のリスク」が高まるだけだ。

結局のところ、バランスなのかなって思います。

これからの時代、投資を全くしないのは資産形成の観点でNG。

かといって、生活費ギリギリまで切り詰めて投資に全振りするのも、幸福論という観点でNG。

あくまでも余剰資金の範囲内で積み立て投資しながら、長期ペースで継続する。

で、ある程度の現金も銀行口座に預けといて、遊びたいときはそのお金を使って思いっきり遊ぶ。

それでも現金が足りない急な事態が発生したときは、株を躊躇なく売って現金に換える。

資産運用も支出も、ちょうどいいバランスでやっていくのが、一番の最適解なのかなって思います。

節約してお金を貯めるのはいいんだけども、「FIREに固執しすぎの全振りやり過ぎ人生」はあかんよってことですね。

お金がもったいなくて使えない!っていう消費恐怖症になっては、人生クソつまんなくなって本末転倒。

そう、この俺のようにな。

気をつけなはれや!!!

ではまた!

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