僕は子供の頃から、結婚願望というものがありませんでした。
結婚というものに明るい未来が想像できなかったというのもありますし、なぜ好き同士が一緒に住むだけなのに、そんな契約みたいなことをしなきゃいけないのかとても不思議でした。
そして大人になった今でも、結婚したいという願望はありません。
いや、むしろ絶対に結婚しないという意思が日に日に強くなっているとも言えます。
今回は僕がなぜ結婚に否定的なのか、その理由について記事にしたいと思います。
なお、今回の記事の内容は、あくまでも男性目線であるということをご承知ください。
結婚すると自由を奪われる

僕が結婚というものに否定的な一番の理由がこれだ。
そもそも赤の他人同士が、一つ屋根の下で何年も同居し続けるということに無理がある。
会社員であれば平日はみっちり会社に拘束され、休日にやっと休めると思ったら家事を手伝え!だの、家族サービスしろ!などと文句を飛ばされる。
家にいるだけでも気を使うことが増えるだろうし、今日は何時に帰るかだの、今日は食べて帰るからご飯はいらないだの、まるで定時連絡だ。

趣味に没頭することもできないし、自分の好きなものを買うにもいちいち相談・報告しなきゃいけない。
がんばって働いて稼いだお金が、無条件で他人に拘束されるのも耐えられない。
なにより、自分一人だけの空間を邪魔されるのが何よりもの苦痛だ。
僕にとって休日というのは、「誰にも会わず、何の予定もない日」のことを指す。
結婚なんてしたら、毎日が苦行そのものだ。
きっと最初のころは楽しいのだろう。
お互い好き同士が一緒に暮らせてハッピーな気分に浸れるのだろう。
だがそれが何年も続くだろうか。
いずれ愛想を尽かし、結婚生活がマンネリにならないと言えるだろうか。
最初のころはラブラブな夫婦ほど、ドロドロの離婚沙汰に発展するのはよくあるケースだ。
はっきり言って、結婚というものはリスクばかりで、メリットというものがほとんどないと思えるのは僕だけだろうか。
フットワークが重くなる

僕は今、期間工として遠い愛知県まで赴任し、寮に暮らして生活費を抑えた生活を送っている。
だが、もしこれが結婚している立場だったら、こんな選択肢は選べなかったことだろう。
結婚しているとフットワークが重くなる。
なぜなら自分一人だけの問題ではなくなるからだ。
何を行動するにしても、必ずパートナーの存在が関わってくる。
子供を作っていれば尚更だ。
もし僕が仮に結婚していて、期間工という道に進めていなければ、今でも高い家賃を払いながら賃貸に暮らし、借金も返済できず、投資をするほどのまとまった資産も作れていなかっただろう。
要するに何が言いたいかというと、特定のパートナーがいては、人生の行動が大幅に制限されてしまうということだ。
今の時代、自分の生活を維持するだけで精一杯という人が大半だろう。
はっきり言って、他人の生活の面倒を見れるほど、誰もが余裕なんてありはしない。
これで行動も制限されてしまっては、現状を変えるきっかけすら得られない。
お金を貯めたいと思ったときに一番効果的なのは、環境を変えることだ。
僕も期間工になって寮に住む、という環境を変えたことで、嘘みたいに金運が変わった。
夫婦支え合って生きていくと、結婚の誓いの場で宣言しているかもしれないが、支え合っているようで、実際は足を引っ張られてはいないだろうか。
フットワークの軽い人生を望むなら、結婚なんて最初からしない方が賢明だといえるだろう。
淋しいという理由で結婚するぐらいならペットを飼えばいい

「老後に一人ぼっちは嫌だから」
そんな理由で結婚願望を抱く人がいる。
だが老後までパートナーとずっと一緒にいられる保証がどこにある?
今や結婚している夫婦の「3組に1組」が離婚している時代だ。
それに相手側が事故や病気で亡くなり、早いうちに独り身になる可能性だって十分にある。
「淋しい」という理由だけで、金銭的に重い負担がのしかかる「結婚」に踏み切るのは早計ではないだろうか。
そんなに淋しいのなら、ペットを飼えばいい。
動物はあなたに最高の癒やしを提供してくれる。
言い方は悪いが、人間と比べればお金もそれほどかからない。
犬なら、たった数時間コンビニに行って帰ってきただけで、喜びを大爆発させてくれる。

猫なら、ほどよい距離感で生活が共存でき、たまに見せる愛くるしい仕草は、嫌なことも忘れさせてくれる。

それになにより、動物は嘘をつかないし、ある日突然、自分を裏切るようなこともしない。
だが人間ならこうはいかない。
どれだけ愛情を注いで、お金をかけたとしても、ある日急に裏切ることもある。
自分の利益のためなら平気で嘘をつくこともあるし、昨日まで仲良くしていたのに今日になったら急に関係性が崩壊するリスクだってある。
なぜそれほどまでに人間のパートナーにこだわるのだろう。
僕には結婚というリスクを冒してまで、女性というパートナーなんて必要ないと思っている。
猫一匹いればそれで十分だ。
婚姻費用という言葉を知っているか?

「婚姻費用」
この言葉を聞いたことがあるだろうか。
これはとどのつまり、離婚した夫婦が、離婚が正式に決まるまでの間、より稼いでいる方が財産の半分を相手側に振り込み続けるという悪魔のシステムのことだ。
「夫婦」というものは、基本的に夫が仕事をしてお金を稼ぐ一方、妻は家事・育児をすることで夫を支える、という構造が一般的である。
いわゆる、「内助の功」というやつだ。
しかし、いざこの夫婦が離婚するとなると、妻にとっては急に経済的に負担を強いられる状態になってしまう。
よって、正式に離婚が成立するまでは、今までお金を稼いでいた夫が妻へ金銭的に援助をする、ということになっている。
注意が必要なのは、あくまでも「よりお金を稼いでいる側」が振り込む、ということだ。
逆に夫が専業主夫で、妻が働いてお金を稼いでいた場合、この夫婦が離婚した場合は、妻の方が夫へお金を振り込まなければならない、ということになる。
しかし、世間一般で見れば大半が、男性が働いてお金を稼ぎ、女性が家事・育児をするというのが一般的だろう。
つまり、結婚をして離婚することになった場合、離婚が成立するまでの間さえも、男は女にお金を搾り取られてしまう、ということになる。
そして極めつけは、離婚の原因が妻の浮気によるものだとしても、夫がお金を稼いでいた場合は、やはり夫が妻に「婚姻費用」を振り込まなければならないのだ。
僕からすれば「ふざけんな」の一言である。
離婚というルートに進んだ段階で、もはやそこに愛情なんて残っちゃいない。
愛想をつかした妻に対し、1円も振り込む気にならないというのが普通だろう。
だが今の法律はそんな言い分は通らない。
「結婚」という悪魔の契約を結んだ段階で、結婚してもお金を失い、離婚してもお金を失い続けるはめになるのだ。
なぜこんなバカなシステムが生まれたのか

今の時代であれば、洗濯をするにも洗濯機のボタンを押すだけで完了する。
食事をするときも、冷凍食品を電子レンジで温めるだけで栄養価のある食事をとれるため、料理のスキルも必須ではなくなった。
にも係わらず、未だに「内助の功」という理由で「婚姻費用」を払う必要があるのはなぜなのか。
それはこの法律が、明治などの大昔に作られた法律をそのまま流用しているからだ。
その時代であれば、洗濯をするにも手洗いだった。
調理をするにも、火を起こすだけでも大変だった。
だから仕事をしながら家事もする、というのが一人ではほぼ不可能だったために、「夫婦関係」というものが成立していたとも言える。
そしてその時代だからこそ、「内助の功」がよりはっきりしていたとも言えるのだ。
だが今の時代で考えればどうだろう。
家電が充実したことで、仕事をしながら家事もする、という一人暮らしの生活が珍しくはなくなった。
日々の買い物も、ネット経由で買い物をすれば翌日には届いてしまう時代だ。
はっきり言って、日々の生活を維持するために結婚をする、という理由が崩壊しているのだ。
にも係わらず、夫婦関係が成り立っていたのは妻が夫を支えていたおかげ、という理由で、お金を振り込み続けなければならない。
大雑把な言い方をすると、結婚をしたその日に会社を退職し、ニートの状態で離婚した場合は、相手側に婚姻費用を支払う必要はなくなる。
あくまでも「結婚」をしてからどれぐらい稼いでいたかによって変動するのだ。
逆を言えば、結婚をしてからバリバリ働いてお金を稼ぎ、収入が絶頂のときに離婚をした場合、お金を振り込む側は一番痛い思いをするということになる。
僕はこのシステムを本で知ったときから、結婚という願望が完全に崩壊してしまった。
それに先の見出しでも書いたが、今や結婚をした夫婦の3組に1組が離婚する、と言われている時代だ。
結婚というものが、ひどく「ハイリスク・ローリターン」に思えるのは僕だけだろうか。
おわりに

とどのつまり、僕が結婚に対して否定的な理由がこれだ。
人生の自由が制限される。
お金だけでなく、自分だけの時間、行動の自由も制限されるとなっては、怖くて結婚なんてする気がおきない。
それに結婚生活が順風満帆なものになるかどうかも、相手側との相性によってガラッと変わってしまう。
ガチャ要素が強すぎるのだ。
だがここまで書いておいて、結婚というものに対して、僕が唯一よいと思える要素がある。
それは、お互いの同意がなければ成立し得ないということ。
つまり、絶対に結婚しないという意思を貫き続けてさえいえば、結婚や離婚という不利益を被るリスクを確実に回避することができるのだ。
やりたい奴だけやりゃーいい。
その選択肢を選べるのが、唯一の利点ではないかと思っている。
それを邪魔されるぐらいであれば、今後も結婚しないという意思が揺らぐことはないだろう。
その意思が揺らぐほどの女性に巡り合えたなら考えも変わるのかもしれないが、こういった発想をしている男を女性がわざわざ選ぶとも思えない。
だがここまで書いておいて、既に結婚していて家族を作り、毎日が幸せだという人がいるのなら、それはそれで結構なことだ。
ここまで書いてきたことは、あくまでも僕の価値観によるものであって、僕の個人的主観で書かれた内容だからだ。
人生で何を重視し、どこで幸せを感じられるかは人によって違う。
それが僕の場合、結婚して家族を作ることでは到底ない、というだけの話しだ。
だが結婚をすると、今回の記事で書いたデメリットを被るのもまた真実だろう。
結婚をするということが、自分にとって本当に幸せになり得るのかどうか、今一度考えてみてはいかがだろうか。
それでは。
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